【国際教養大学の寮生活】一生忘れないアメリカ人ルームメイトのお話
こんにちは!こかちゃんです!
国際教養大学卒業生として、国際教養大学に関する様々なことを日々どしどし発信しています。
今回は国際教養大学での寮生活について、その中でも特に「ルームメイト」についてのお話をご紹介したいと思います!
・私が1年生の時に体験したアメリカ人との寮生活
寮生活の基本的な情報
まず、本題に入る前に少しだけ国際教養大学の寮についてご紹介させていただきます。
既にご存知の方もいるかと思いますが、国際教養大学では、学生は基本的に4年間寮生活を行います。
大学のキャンパス内にいくつかの種類の寮があり、学年に応じて住む場所が変わります。
この地図上で表示されている、学生寮(こまち寮)、学生アパート(グローバルビレッジ、ユニバーシティビレッジ)などが学生が住んでいる寮になります。
大学1年時は学生全員が寮生活が必須となります。
入学した学生は全員こまち寮に住み、留学生がルームメイトになります。
大学2年以降はキャンパスを出て学外に住む学生も出てきますが、かなり少数です。
ほとんどの学生は継続してキャンパス内にある寮に住みます。
2人部屋、1人部屋が選択ができるようになり、1年生に比べると少し自由度は上がるのが良い点です。グローバルビレッジ、ユニバーシティビレッジ、またはさくらビレッジと呼ばれる寮に住みます。
1か月の家賃や部屋の環境など、もっと寮生活の詳細を知りたい!という方については以下の記事で詳しく解説しているのでぜひこちらの記事もご覧ください👇
なぜルームメイトが大切なのか?
毎日多くの時間を一緒に過ごす存在だから
すでにご紹介した通り、国際教養大学の学生は基本的に4年間寮生活を行います。
もしルームメイトがいた場合、当然ですが、寝食を共にするため、毎日の生活の中でかなり多くの時間を一緒に過ごすことになります。
例えば、学生の1日を考えてみることにしましょう。
寮にいない時間には、授業を受けている時間、アルバイトをしている時間、サークル活動をしている時間などがありますが、このような時間以外はずっと寮の部屋にいます。
具体的には、部屋で勉強する時間、授業に行く前の時間、授業の合間の時間、授業が終わってから寝るまでの時間などのすきま時間をルームメイトと一緒に過ごすことになります。
比較したことはありませんが、感覚的には自分の家族と同じくらい、あるいはそれ以上の時間を一緒に過ごす存在になるでしょう。
「相性」が悪くても簡単に変えることはできないから
誰かと共同生活をする、ということを聞くと、
「なんだか楽しそう!!」
「うらやましいっ!!」
なんて思うかもしれませんが、必ずしもそういうハッピーな寮生活が待っているとは限りません。
やはり、人間には「相性」というものが存在します。
当然ですが、相性の良い人と一緒に住めば幸せに楽しく暮らせます。
毎日お互いに良い影響を与えあえる関係になれるかもしれません。
しかし逆に、相性の悪い人にあたってしまった場合、毎日ストレスを抱えることになるのです。
しかも、先ほどご説明した通り、寮生活では毎日非常に多くの時間をルームメイトと過ごすことになるので、なかなかそのストレスから逃れることはできません。
もし部屋の中で自分の空間を作り出し、そのような環境から逃げ出そうと試みても、それは難しいことが分かります。
なぜなら、どんなに自分のベッドを充実させても、隣でルームメイトが寝ている音は聞こえますし、完全なプライベートを実現させることはできないからです。
本当に1人になれるのは、トイレだけかもしれません(笑)
したがって、相性の悪いルームメイトと生活をすることになると、その人が変わるまで、長い期間我慢しなければならない可能性もあります。
となれば、シンプルに、相性の良いルームメイト住めば問題はなさそうですよね。
わざわざ相性の悪い人と一緒に住みたい人なんていませんからね。
でも、残念ながらこの希望が叶わない時期があるのです、、。
それはいつなのでしょうか?
結論としては、大学1年生です。
入学後、国際教養大学生は全員がこまち寮で生活するのですが、2年生になるまでの1年間は自分でルームメイトを選ぶことは原則できません。
入寮日の当日になってはじめて、自分のルームメイトが判明します。
そうです、完全に運です、、(-_-;)
しかも、ルームメイトは世界各地から来る交換留学生になります。(まれに日本人同士のパターンもありますが)
この状況を少し想像して頂きたいのですが、
高校を卒業し、初めて1人暮らしをする学生にとって、誰かも分からない外国人の留学生とある日急に共同生活を始める、という事はけっこう大変なことだと思います。
この急激な環境の変化に適応するのは、本当に大変です。
このような慣れない共同生活を楽しく乗り越えることができるか、あるいは、ものすごい苦労するのか、ということは最初のルームメイトがどんな人になるのか、という運命にゆだねられているのです。
大学2年生以降に関しては、ルームメイトを自由に選べるようになります。
仲の良い友達に「一緒に住もう~」と誘って、住むことが出来るようになります。
4年間ずっとルームメイトが運で決まるわけではないので、国際教養大学に興味のある高校生の方はこわがらないでください(笑) 大丈夫です、1年間だけです。
これなら安心だ~と思った方もいるでしょう。
だって仲の良い友達と住むのなら、ストレスは感じないですもんね。
ところが、ここにも実は気をつけなければならないことがあります。
仮にすごい仲の良い友達がいたとしても、その友達と一緒に生活をし始めたら、関係がぎくしゃくしてしまう、なんてことがありえるからです。
どうしてこんなことが起こるのでしょうか?
それは、一緒にいる時間が長すぎて、お互いの素の部分が見えてしまい、嫌な所が見えるようになるからです。しかし、ルームメイトだから、と正直な気持ちを我慢し続けていると、気づいた時にはすごい嫌な存在になっていた、、なんて状況が生まれるのです。
仲が良いから、という理由だけでルームメイトに選んでしまうと、共同生活がうまくいかなかった際に、友情関係が崩れてしまうことがあるのです、、。難しいですよね。
したがって、国際教養大学生にとって、
・毎日多くの時間を一緒に過ごし、
・相性が悪かった場合も簡単にその環境を変えることは難しい、
という背景から、「ルームメイトが誰になるのか」という事は非常に大切であることが分かります。
一生忘れないアメリカ人ルームメイトについて
それでは、前置きが長くなりましたが、私の大学1年時のルームメイトをご紹介したいと思います。(以降はルームメイトのことをルーミーと言わせて頂きます)
私は入学後、最初の1学期間はカナダ人と一緒に住みました。
はじめてのルーミーでとても緊張していましたが、彼は本当に良い人でした。
大人で包容力もあり、英語も毎日教えてくれ、まさに100点満点のルーミーでした。
彼は1学期の期間だけ日本に留学していた留学生だったため、7月には早くもカナダに帰国してしまいましたが、充実した1学期になりました。
ここで話が終われば、ほほえましいエピソードですが、話には続きがあります(笑)。
そうです。
その後、8月になると、「彼」が来たのです、、。
おそらく一生思い出として語れる、アメリカ人のルーミーとの壮絶な共同生活の始まりです。
①名前・出身地
留学生の名前はEdward(エドワード)です。
年齢は私の2つ上だったと思うので当時20歳だったのかな。
出身地はアメリカ東海岸のボストンでした。
優秀な大学が集まる非常に落ち着いた良い地域の出身です。
メジャー(専攻科目)は歴史で、彼はとにかく世界中の歴史に詳しく、nerd(おたく)的な人でした。(良い意味で)
②見た目・性格
見た目はけっこうなぽっちゃり系です。
顔は痩せたらイケメンなんじゃないかという濃い顔立ちをしています。
服装はTシャツに短パン以外の姿を見た事はありません。
性格としては、一言で述べるのは難しいですが、決してコミュニケーションを取りにくいタイプではありませんでした。
むしろフレンドリーな感じで、キャンパス内で私を見かけると、いつも
「What’s up?」(やあ!)
と声をかけてくれます。
また、部屋の中でも会話はする方でした。
歴史を専攻しているということもあり、日本人の私以上に日本の歴史について知っていたため、よく勉強になる話をしてくれました。
議論をするのが好きで、日本人として意見を求められることが多々ありました。
私は大学受験に世界史を勉強していたので、彼と歴史の話をするのは好きでした。
さて、ここまでの話だと、そんなにクセのありそうな人物には思えないですよね?
こっからが本番です(笑)
歴史が詳しかったり、フレンドリーだったりと、彼にも良いところはたくさんあるのですが、私はどうしても彼に対して我慢できないことがありました。
それは、ずばり言うと、生活習慣が私と全く違ったのです。
生活習慣、という言葉を使いましたが、正直どんな表現をしたら良いのか分かりません。
なぜなら、エドワード君は、たびたび私が理解に苦しむような謎の行動をすることがあったからです。
その謎の行動が、本当に私にとっては謎過ぎて、いつも
「どゆこと??」
という気持ちになり、知らず知らずのうちにフラストレーションがたまってゆきました。
今振り返って思うのは、当時のエドワード君の不思議な言動の数々は、「彼がアメリカ人だから」というわけではなかったように思えます。
つまり、カルチャーの違いによる相性の悪さではなかったな~と感じるのです。
シンプルに、彼が変わっていたのだと思います。
では実際に私が体験したエドワード君とのエピソードをいくつかご紹介します。
エドワード君との様々なエピソード
①真冬なのに、毎日半袖短パン
彼は、本当に驚くことに、9月に秋田県に来てから、アメリカに帰国する12月末までの間、一度も服装を変えることはありませんでした。
来ていた服が毎日一緒だった、というわけではありません。
季節関係なく、毎日半袖短パンだったのです。
改めてお伝えをすると、国際教養大学は秋田県にあります。
秋田県は東北地方にございます。
9月にもなればあっという間に涼しくなり、10月を迎える頃には寒い地域です。
本格的な冬のシーズンには雪がたくさん積もり、外は一面白銀の世界になります。
朝晩の気温は氷点下10度近くにもなり、凍えるほど寒いです。
そんな秋田にいながら、エドワード君は一回も服を2枚以上重ねて着たことがありませんでした。
というか、コートやセーターなどを持っていませんでした。
「いやいや、そんなことあるかいな」
と思われるかもしれませんが、本当なんです(笑)
何十回と、彼に「寒くないの??」という、誰もが質問することを聞いていたのですが、
答えはいつも同じでした。
「Well, I am OK!!」(俺は全然へっちゃらさ!)
小学校の頃は、クラスに1人くらいこういう子がいたな~という記憶があるのですが、まさか大学生になって再び遭遇するとは思いもしませんでした、、。
「風邪ひくから、俺のでよければ使いなよ」
という具合に、何度も説得を試みたのですが、結局最後まで彼の行動を変えることは出来ませんでした。
毎日彼の姿を見ていると徐々に見慣れてきたせいか、最後の方は彼が半袖短パンで友達と雪合戦をしているのを見ても、何も違和感を感じることがなくなりました。
冷静に考えるとおかしい状況ですけどね(笑)
エドワード君は最後まで一度も風邪をひくことなく、笑顔で帰国しました。
玉ねぎが好きすぎる病
次のエピソードは、玉ねぎに関してです。
エドワード君は、よくわからないのですが、玉ねぎが大好きでした。
彼は、よく私に言いました。
「たまねぎは世界で一番栄養のある食べ物なんだよ。人間にはたまねぎさえあれば充分さ。
俺はもし、無人島に何か一つだけ物をもって行けるとしたら、間違いなくたまねぎを選ぶね。」
確かに玉ねぎは栄養もあるし、色んな料理に使えるし、日常的によく食べる野菜です。
しかし、エドワード君は栄養士でもなければ、料理が得意だというわけでもありません。
いったいなぜ、そんなに「玉ねぎ」にこだわりを持っているのか理解できませんでした。
何回彼から、玉ねぎってすごいよねエピソードを聞いたかは覚えていませんが、とにかく彼は日常的に玉ねぎの話をするのが好きでした。
みなさんならどのように反応してあげるでしょうか?
私はシンプルに、
「へぇ~、たまねぎ好きなんだね~。良いことだね~。俺も好きだよ 」
という感じで答えていました。(他に良い相づちの仕方あるかな? 笑 )
エドワード君が玉ねぎが好きなのは別に良いのですが、問題は、彼は大量に玉ねぎを買い、いつも部屋に置いていたことでした。
イオンとかで売っているような玉ねぎ5個入りの袋を買ってきて、それらを床にストックしておくのです。そのまま、どさっと床に放置する感じです。
料理をするために買うわけではありません。ただ、手元に玉ねぎを置きたいからです。
さらに、エドワード君は玉ねぎを置いてあるだけでは満足できず、いつも手にとって、うっとりと眺めていました。
もう一度言いますが、料理に使うわけでもなく、ただ大量に買った玉ねぎを見つめていたのです。
なかなか理解はしがたいですが、ここで更なる問題が発生しました。
玉ねぎの皮はむけやすいので、エドワード君が玉ねぎを触る度に、皮が床にボロボロとはがれて落ちてしまうのです。
残念な事に彼は掃除をまったくしないタイプだったので、玉ねぎの皮を綺麗に掃除するのはいつも私でした。
拾っても拾っても、すぐに玉ねぎの皮が床にちらばった状態になってしまうので、キリがありません。
「何で俺は毎日部屋で玉ねぎの皮を拾っているんだ??」」
という風にうんざりした気持ちでしたが、エドワード君がまったく掃除をしてくれないので仕方なかったのです。
手で拾うのが大変になってきたので、10月頃には掃除機を買った記憶があります。
今となっては笑い話ですが、本当に意味が分からず、毎日イライラしていたのが懐かしいです。
結局最後の最後まで彼のそばには玉ねぎが置いてありましたが、彼がアメリカに帰国する日に全部捨てました。
以上、玉ねぎエピソードでした。
早寝早起きの生活から、アル中(アルコール中毒)へ
次のエピソードに関しては、壮絶でした。
エドワード君は、もともと健康的で勤勉な生活を送る人でした。
彼が国際教養大学に来てからの最初の2か月くらいは、毎日夜10時には寝て、次の日は早く起きて日本語の勉強をする、という生活を続けていました。
しかし、11月頃からだったと記憶していますが、彼の生活スタイルが急に変わってしまいます。
ある日から急にぐれ始めたのです。
何があったのか分かりませんが、毎晩お酒を飲むようになりました。
彼はもともとまったくお酒を飲むタイプではありませんでした。
「俺はお酒は弱くて飲めないから、嫌いなんだ」
と言っていた彼が、毎晩酒に酔って部屋に帰ってくるようになったのです。
部屋に無事にたどり着けず、部屋の前の廊下で朝まで寝る、なんてことも度々ありました。

vector illustration of lonely businessman drinking beer…
あまりにも変わり果てた彼を心配に感じ、
「エドワード君、最近どうしたの?何かあった??」
と質問したこともあったのですが、特別何もなく、友達と飲んでいるだけ、とのことでした。
私の予想だと、少しやんちゃな留学生のグループと一緒にいることが多くなったので、それに伴ってお酒を飲み始めたのだと思います。
毎日心配していたのですが、その酒癖の悪さは悪化するばかりで、枕元にもお酒を置くようになりました。(もはやアル中、、)
そしてついにある日、彼はとんでもないことをします。
ある朝、いつものように私がベッドから目覚めると、あることに気が付きました。
それは、部屋が何かのにおいで充満していることでした。
「な~んか、くさいんだよな~・・・。何のにおいだろ??」
エドワード君はまだ隣で爆睡しています。特別変わった様子もありません。
そこで、私はにおいの原因を探すため、部屋を嗅ぎまわりました。
すると、洗面所(お風呂場)近くから、ものすごい臭いにおいがしていることが分かりました。
そこで、お風呂場の扉を開けると、私は信じられない状況を目の当たりにしました。
お風呂場の床が一面、誰かのゲロまみれになっていたのです、、。
あんまり汚い言葉は使いたくありませんが、まさに
「吐き散らかされた」現場でした。
もう、呆然とするしかありません。10秒くらい見つめて、頭の整理をしていた記憶があります。
でも、毎日お風呂場は使うため、とにかく掃除をするしかありません。
私は必死で掃除を開始しました。
全部床を綺麗にしても、お風呂場に充満するにおいはなかなか取れませんでした。
そんなこんなで隅から隅まで1時間ほど掃除をしていると、エドワード君が起きてきました。
すかさず、
“Do you know what happened here last night?” 「昨夜ここで何があったか知らない?」
と聞きましたが、彼は最初すっとぼけていました。
「う~ん、知らないな~、、」という反応でした。
しかし、私は彼の着ている服からにおいがしたことから、彼が犯したことに間違いないと分かりました。
この事件に関しては、さすがの私も堪忍袋の緒が切れ、はっきりと彼に、
「いい加減にしてほしい、今後二度とこのようなことがないようにして!」
という事を伝えました。
エドワード君自身も反省したらしく、同じようなことはその後は起こりませんでした。(それでも彼がお酒をやめることはなかったのですが、、)
今思い返すと、エドワード君にとっても初めての海外留学で色々と慣れないこと、不安なこと、大変なことがたくさんあったために、どこかで自分を見失ってしまっていたのかな、と思います。
もう少し彼のルームメイトとして、何かしてあげられることはなかったのかなと、後悔することもありました。
しかし彼がアメリカに帰国してから1年ほどたった頃、彼からメッセージがありました。
彼は家族と一緒に生活する日々を通し、再び健康的な生活を送れるようになった、という連絡でした。そして同時に、私に色々と迷惑をかけたことも謝罪してくれました。
私としては、今更謝罪なんてどうでもよく、とにかく彼が元に戻ったと聞けて本当によかったな~と嬉しく思った記憶があります。
少し生々しい話になってしまいましたが、改めてブログに書いていると様々な大変だったエピソードを思い出しました。よくがんばったな~俺、、。
こちらのエピソードは以上になります。
振り返って思う事
さあ、ここまで私の寮生活を紹介してきました。
どうだったでしょうか?(笑)
本当は他にもたくさん苦労エピソードはあるのですが、それはまた別の機会でご紹介しますね。
「なんか想像していたのと違ったな~」と感じた人もいるかもしれません。
でも、そう思うのは当然です。
確かに、普通とは違っていたので、、(笑)
改めて申し上げると、国際教養大学の留学生はみんなが今回のような人物である、というわけではもちろんありません。
通常は世界中の優秀な大学から、日本に興味のある、意識の高い学生がやってくるので、間違いなく良い刺激を受けることができます。
しかし私がお伝えしたいのは、万が一、今回の私のように不思議なルームメイトにあたってしまった場合でも、その経験から得られることも実は多い、という事です。
つまるところ、
「人生において無駄な経験はない」ということです。
ちょっと無理やりまとめようとしている感じが出ちゃってますかね、、?(笑)
でも本当に私はそう思います。
私が大学1年生の頃は毎日しんどく、早く2年生になりたいな~と思っていましたが、大学を卒業すると、その思い出を不思議とポジティブに振り返ることができるのです。
なぜなら、あの経験があってこそ、今の私があるからです。
私は大学1年生の頃に経験した寮生活を通し、大学2年生以降はどんなタイプの人間、どんなにクセのある人間でも、どんとこい!というくらい人間関係に悩まなくなりました。
辛いことがあっても、
「私の1年の時の苦労に比べたら、こんなの余裕だな~」
と思えるようになったからです。
したがって、ルームメイトとの相性は必ず良し悪しがありますが、たとえ相性が悪くて苦労することがあったとしても、その苦労は将来必ずや自分の糧になるはずです!
以上です!

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